石 かけ観音の観音菩薩
京都市左京区八瀬野瀬町21


 2015年3月22日(日曜)、京都訪問は1年ぶり、大学の同級会に出席のついでにいぼとり観音のかけ観音寺を訪れました。
叡山電鉄本線の八瀬比叡山口駅前の北方600mほどの高野川に架かる駒飛橋(こまとびはし)のすぐ手前の国道367号線沿いのがけの上にかけ観音寺があり、細い坂道をのぼるとかけ観音寺の御本堂です。
駒飛橋の100mほど南がかけ観音寺の石碑のあるかけ観音寺入口の分かれ道で、自動車など乗り物利用の方は曲がって下さい。
かけ観音寺は源義朝が鏃(やじり)で線刻されたといわれている観音菩薩を奉っており、かけ観音寺はがけ観音寺ともいわれます。
かけ観音寺の観音様にはいぼとりの御利益ありともいわれており、御祈祷料が3000円とのことです。(2015年3月25日記)

叡山電鉄本線の
八瀬比叡山口駅の駅舎
国道367号線の駒飛橋手前の
がけの上にかけ観音寺があります
かけ観音寺への坂道 お寺への登り口にある石碑と看板
かけ観音寺の入り口から
眺めたかけ観音寺御本堂
正面から眺めたかけ観音寺御本堂
駒飛橋の手前約100mに
あるかけ観音寺への道
かけ観音寺の入口近くの
参道脇にあるお寺の古い説明板


かけ観音寺御本堂の参道脇のお寺の古い説明版には次のように書かれていました。
~当山の御本尊かけ観音大士は往昔二条天皇の御砌、源義朝卿、平治元年
十二月下旬(西暦1159年)平治の乱に敗れ、斎藤別当実盛、、
鎌田兵衛正清、頼朝、平賀四郎吉宣、渋谷壱王丸、鷲津源光、陸奥
六郎義隆等の従者を引きつれ(義朝卿の長男頼朝は十三才の初陣であった)
東国に落ちのびる路すがらここ千束が谷がけの峠にて戦の疲労にて
駒諸共に数十尺の断崖を真逆さまに転び落ちしが不思議にも一寸の
傷手もなく身を全うせしにより再びがけをよじ登り、日頃念ずる
観音の御慈悲に随喜して峠の大岩に鏃(やじり)を以て(線刻)観音菩薩の
御尊容を刻まれ源家再興を主従一同共々に願われたのである。
以後当寺をがけの観音と呼ばれ観音様の御慈悲にすがり祈願すれば
何事も成就霊験あらたか成る観音様と信仰を集め今に到る
               真山 かけ観音寺山主  敬白~とありました。

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